無くそう、誹謗中傷。

誹謗中傷は犯罪です。しかしなくならない。その原因と解決策を裁判所の判例も交えて考えていきます。

〇〇警察という慣習があり続ける限り誹謗中傷は無くならない

皆さんは「〇〇警察」という言葉を少なくとも人生で一度は耳にしたことがあるかと思います。

2019年から猛威を振るったCOVID-19(新型コロナウイルス:WHO定義)で例えるならば、「自粛警察」「マスク警察」といったものが挙げられます。

具体的には、人と人の距離感が近い環境を避ける「外出自粛」を行わない人や店をネット上に晒上げる行為を指します。

 

このような晒上げ行為は、日本においては「私刑の禁止」に抵触する違法行為です。

「私刑」とは、国家の刑罰権の発動を待たずに、私人もしくは私的団体が自力で行う制裁のことをいいます。

英語ではリンチと表現されます。

海外では、殺人や窃盗の犯罪の現行犯に対して民衆が制裁を加えるという私刑行為が許されている国もあります。

日本では、憲法31条が、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と定めており、刑罰を課すには国家が法律に基づく必要があります。

よって、私刑は禁止されています。

「私刑」の中には、メディア・リンチというものも含まれると考えられています。

メディア・リンチとは、犯罪事件が起こった際に、ワイドショー、週刊誌、ニュース等によって事件にまつわる被害者・加害者、両者の人間関係やプライバシーなどが一方的に流されてしまうことでプライバシーの侵害や名誉毀損が行われている状況を指します。

一般人の犯罪に対する憎悪や事件に関する好奇心を煽るような見せ方で、かつ、当事者の意向が無視された状態で情報が流される点に特徴があります。

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なぜこのような「〇〇警察」が蔓延してしまうのでしょうか?

今回は実例も紹介しながら様々な考察をしていきたいと思います。

 

目次

 

「〇〇警察」による被害件数は年々増加している

この〇〇警察という私人による晒し上げ行為は、インターネットの普及に伴い増えており、その被害件数も比例して増加しています。

さらにその加害者が必ずしも個人だけではないのが、近年の「〇〇警察」の特徴です。

Webメディアや企業などの「団体」によって特定の個人を晒し上げる風潮が近年では多くなり、その団体の持つ拡散力によってより多くの人が誹謗中傷の加害者もしくは被害者となっています。 

メディア・リンチ(英語圏では、「Internet Lynching(インターネット・リンチ)」や「Virtual Mobbing(バーチャル・モブ)」)と呼ばれるこの行為は違法であるにもかかわらず、この国では黙認されているのが実態です。

 

なぜ晒し上げ行為はなくならないのか

考察1:他の人がやっているから自分もやってもいいように見える

学習という単語の「学」という字は、「まねぶ」という言葉が語源となっているそうです。(ソース:武田鉄矢 氏)

「まねぶ」とは「マネする」という意味なので、「学習」とは、「マネすることで習得する」という意味を持っています。

多くの人は、人のまねをして物事を覚えます。

ネット上における言論の在り方も先人たちをみて学習しているのです。

なので、ネット上で迷惑行為が多発している場所では、なかなかその迷惑行為を撲滅することができません

そこにいた人の迷惑行為が、その場における常識のようにとらえられてしまい、新規参入者も迷惑行為に走ることが珍しくありません

余談ですが、迷惑系がなくならないのは迷惑系を見る人がいるからともいえます。

なのでネット上で他人に迷惑をかける人を見かけたら、

  • ブロックする
  • 通報する
  • 拡散しない
  • そもそもそのサービスを利用しない

など、しない、させない、許さないの立場をとることや、プラットフォームの特性を利用した回避方法をとることが必要です。

 

考察2:「ゲーム感覚」で「〇〇警察」をしてしまう

皆さんはゲームをやっているとき、ゲームをプレイしている自分自身がゲームのキャラクターに殺されると思ったことはありますか?

まるで「ソードアートオンライン(原作:川原礫)」みたいな例えですが、もし、ゲームが原因で現実世界の自分が死ぬ羽目になるとわかっていたら、そのゲームをやりたいと思いますか?

はちょっと遠慮したいと思います。

みなさんもほぼ大多数がそうだと思います。

だから、みんな安全なゲームをやるんですよね?

 

で、なんでこの話をしたかというと、「〇〇警察」という晒し行為をしている人のほぼ大多数が、「晒された人から逆に訴えられるなんて全く思っていなかった」と述べているんですね。

〇〇警察という晒し上げゲームが安全でエキサイティングな遊びだと思っているから、安易に晒し行為を行ってしまうと考えることができます。

逆に言えば、晒し行為を行ったら訴訟や罰則を受けることを理解していれば、その人は、晒し行為を行わなかったかもしれません。

このためには、インターネットリテラシーの教育を強化するだけでなく、前述の私刑の禁止などの法令の理解も広める必要があります

 

考察3:犯人捜しをしたくなってしまう心理が働くため

ネット上のリンチ行為がなくならないのは、何か事件や問題が起こった時に「その犯人を特定したい」という心理が働くことも、その一因であるといわれています。

自衛のためという大義名分を掲げる人もいるようです。

日本ではこの犯人捜しをする人のことを「正義マン」というそうです。

犯人捜しに協力したいという正義感が働くが故なので、動機としては善意なんですが、たいていの場合はさらにトラブルが複雑化し、最悪の結末を迎えます。

海外の実例では、暴行被害に遭った人がSNS上で犯人の特徴をあげて加害者を特定してもらおうとしたものがあります。

海外の「ネット私刑」―SNSセレブの投稿が殺害予告に発展 - フロントロウ -海外セレブ&海外カルチャー情報を発信https://front-row.jp/_ct/17139301

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上記の例では、当事者とは無関係な人が「犯人と同姓同名なだけ」でネット上で晒し上げられ、犯罪予告までうける事態となりました。

概して人は一度でも思い込みにとらわれると、真実から離れた情報でも信じてしまいます。

犯人捜しをしても間違った結末にたどり着くことが多いため、仮に善意だとしても一般人による犯人捜しはしないようにしましょう

 

考察4:「人は忘れる生き物だから」

皆さんは、「誹謗中傷を苦に自殺してしまった人の名前」をどれだけ挙げられますか?

当ててあげましょう。

この質問をされるまで、あなたはその人のことを忘れていたのではありませんか?

私は時々思います。

  • もし、誹謗中傷を苦に自殺した人のことを忘れることがない社会だったら、誰もが誹謗中傷をしないのではないでしょうか?

事実、スキャンダルが理由で誹謗中傷が始まり、その被害者が誹謗中傷を苦に自殺したことが分かった途端、誰もがそれ以上その人の話題に触れなくなりました。

相手を死ぬまで追いつめておいて、いざ死なれたら、無かったことにして忘れてしまえるという生き物がこの地球の大多数を占めています。

誹謗中傷を助長するニュースを流した報道、メディア、企業、個人でさえ、対象が自殺したと知るや否や、その責任を誹謗中傷をした人に擦り付けて、ただ無機質にその人が自殺したことだけを報道しました。

そして数年の後、自殺した人の話題が再び持ち上がった時、ほとんどの人が何と言ったと思いますか?

答えは「そういえばそんな事件もあったね」です。

何人もの誹謗中傷の被害者がこのような残酷な結末を迎えています。

「人間は忘れてしまう生き物だから」というのは免罪符になりません。

私たちは、誹謗中傷に殺されたたくさんの人の命と向き合って心にとめて生きなければならないのです。

そうしなければ誹謗中傷は絶対になくなりません。

 

まとめ

どんな人でも、つい出来心や正義感から「〇〇警察」という「晒し行為」をしてしまいます。

そして「晒し行為」の先には必ず「誹謗中傷」が待っています。

正義感から何かを罰したいとか、粛清したいとか、制裁を下したいなどと思うかもしれません。

しかしそれはどれも必ず最悪の結末にたどり着きます。

誰も幸せになることがありません。

 

ここで、私に社会の勉強を教えてくれた先生の言葉を、皆さんにも紹介したいと思います。

  • 私たちは「パトカー」ではなく、「救急車」にならなければならない。
    「パトカー」も「消防車」も「救急車」も人の命を救うためにある。
    けど、人の傷を治せるのは「救急車」だけ。
    だから私たちは「救急車」にならなければいけない。

私たちが本来やるべきことは、悪者を減らすことではなくて、傷ついた人を一人でも多く助けることなのではないでしょうか?

そのためには警察ではなく、救急隊員がたくさん必要です。

皆さんの心もまた救急隊員であることを忘れないでください。